湧水三島の湧水(ゆうすい)三島の湧水は、三島溶岩流の先端下から湧きでた富士山の被圧伏流水(ひあつふくりゅうすい)(注)と考えられています。溶岩流の各層には縦横に多数の割れ目があります。また、各層の間には砂礫(されき)をはさんでいて、地下水はこの砂礫の層や溶岩の割れ目や隙(すき)間を通っているようです。湧水は楽寿園の小浜池、白滝公園、菰池などから湧き出しています。 かつて湧水の総量は、増水期に夏季で約40数万t/日、減水期の冬季は約20数万t/日で、水温は年間を通じて、およそ15℃でした。 昭和37年(1962)ころ、源兵衛川の水量が少なくなり、また小浜池の水位が下がり、風景が変わってきたことに源兵衛川沿いの住人が気付きました。調べてみるといろいろな原因がありました。工場誘致による地下水の汲み上げや、昭和23年(1948)の上水道の開始、洗濯機など家庭電化製品の普及、道路の舗装化(ほそうか)、宅地開発などによる地下水の使用量の増大、田畑の減少などが原因と思われます。 大切な水が失われるという危機に、いち早く対策が必要となり、まず昭和39年(1964)、緒明太郎を会長に「三島湧水を守る会」が設立されました。次に、湧水減少の理由を探ることが大切と考え、調査、研究に基づき、第1段階として昭和44年(1969)に、三島溶岩流の三島を通って柿田に至る柿田湧水を利用した「柿田川工業用水道」が整備されました。また昭和49年(1974)には、三島市、沼津市、長泉町、清水町の行政関係者や地下水取水者で構成された「黄瀬川地域地下水利用対策協議会」が設置され、井戸水の汲み上げの規制もできました。 現在も、三島ゆうすい会をはじめとするいくつかの湧水を含めた自然環境の保全に取り組む団体が、積極的に活動しています。また、市民の湧水涸渇(こかつ)への認識の高まりや、さまざまな努力が続けられています。 (注) 上下を不透水層で挟(はさ)まれた帯水層を満たしている地下水。圧力がかかっていて、地下水面はない。 → 三島ゆうすい会 竹倉湧水(たけくらゆうすい)竹倉の周辺には、一之滝(いちのたき)、二之滝、三之滝、滝の上、滝の入(い)りなどの地名が残っていて、昔から豊富な湧水地であったと思われます。竹倉湧水は箱根水系で、1カ所からコンコンと湧き出すのではなく、いくつかの細い湧水が次第に集まっていつの間にか、小川となり川となっています。 水源では、小規模ながらクレソンなども栽培され、川にはカワバタもあり、のどかな雰囲気をかもし出しています。水温は約16度で、夏は冷たく、ハヤなどの小魚を追う子供たちを見かけます。冬は暖かく感じ、寒い日の朝には川面(かわも)から水蒸気が立ち上(のぼ)っています。 夏梅木川(なつめぎがわ)のJR東海道本線の南側辺りに、屏風岩(びょうぶいわ)が約100m続き、中には、対岸から読むことはできませんが、岩面に明治の初めに谷田山の所属についての仲介文が刻まれている岩もあり、美しい景観になっています。
→ カワバタ(川端)、竹倉温泉 小沢湧水(こざわゆうすい)
小沢湧水は箱根水系で、細い流れがいくつか集まって小川となり、小沢川を形成しているのが特徴です。水源では、クレソンを栽培しています。
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