地蔵尊(じぞうそん)言成地蔵(いいなりじぞう)尾州藩浪士(びしゅうはんろうし)、尾張屋源内(おわりやげんない)の娘小菊の霊を祀(まつ)った地蔵堂です。浪士源内は二日町(現、東本町)に住み、猟師として生活していました。 そこで大名と同格の10万石の格式をもつ玉澤妙法華寺の第24代住職日迅(にちじん)上人(しょうにん)が、下座について助命を乞いましたが、それでも聞き入れられず、小菊は本陣庭先でお手討ちされることになりました。その折、幼い小菊は手を合わせ、「なんでも殿様の言いなりになりますゆえ、命ばかりはお助けください」と懸命に頼みましたが、小菊の願いも空しく聞き届けられませんでした。 怒った父源内は、箱根街道石割坂付近(接待茶屋下)に待ち伏せし、殿様の籠(かご)に鉄砲を打ち込みましたが、察知されていて、目的を果たすことができませんでした。源内は自害し日迅上人は雲水(うんすい)僧(そう)として旅に出ました。 手無地蔵(てなしじぞう)昔、この地(現、三島市中(なか))に延喜式内(えんぎしきない)(注)父梨(ててなし)神社がありましたが、この神社が焼けたあとに石の地蔵を祀った地蔵堂が建てられました。 この地蔵は夜な夜な鬼女に化けては往来の人々を驚かせていました。ある日のこと、狩野領の若侍が夜更けにここを通ると鬼女に髪を引っ張られました。驚いた若侍は刀で鬼女の左手を切り落としました。夜が明けてから見ると地蔵の左手が切り落とされており、その手は田の畦(あぜ)にありました。それ以来人々は、この地蔵のことを手無地蔵と言うようになりました。 (注) 延喜式の神名帳に記載されている神社
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