三嶋大社の文化財
梅蒔絵(うめまきえ)手箱
(国宝、工芸)
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(国宝)梅蒔絵手箱の美容道具
(一部)
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この手箱は、鎌倉時代に北条政子が三嶋大社に奉納したと伝えられており、国宝に指定されています。現在は復元模造が展示され、実物は東京国立博物館で保管されています。
池、水鳥、梅花、空に雁(がん)が飛んでいる絵柄で、図中に白居易(はくきょい)(白楽天)の詩の文字を配しています。また、平蒔絵(ひらまきえ)、研出蒔絵(とぎだしまきえ)、高蒔絵(たかまきえ)、などの技法に加え、梅花と文字を銀の薄板を切った平文で施(ほどこ)すなど、精緻(せいち)を極めています。なお、この箱には、櫛(くし)、笄(こうがい)(まげの飾り)、紅筆(べにふで)など、34点の美容道具がほぼ完備しています。
平成12年(2000)に国の重要文化財に指定されました。現在の社殿は安政元年(1854)の大地震の後、再建されました。
本殿の妻飾りや、幣殿と拝殿との接合部などの形式や細工に趣向が凝らされ、江戸時代末期の装飾豊かな複合社殿として価値が高いものです。
太刀(たち) 銘(めい) 宗忠(むねただ)
(国指定重要文化財、工芸)
明治20年(1887)宮内庁から三嶋大社に寄進されたものです。太刀姿は小丁子(こちょうじ)の刀文を焼き、映りがはっきりしています。宗忠は鎌倉時代初期、備前国福岡(現、岡山県)一文字派の優れた刀工で現存する太刀は極めてまれです。
脇差(わきざし) 銘(めい) 相模国住秋義(さがみのくにじゅうあきよし)
伊豆三嶋大明神奉拝 佐藤松千代貞成(さとうまつちよさだしげ)
(国指定重要文化財、工芸)
この脇差は三嶋大社に奉納するために鍛えられたものです。刀の模様は木材の板と同じような木目肌です。秋義は南北朝時代の鎌倉の刀工で、この刀剣は相州伝(そうしゅうでん)の代表的な作品です。
紙本墨書(しほんぼくしょ) 般若心経(はんにゃしんぎょう)
源頼家筆(みなもとのよりいえひつ)
(国指定重要文化財、書跡)
この心経は建仁3年(1203)8月、源頼家が病気平癒祈願(へいゆきがん)のために書写して三嶋大社に奉納したものです。一時期、三嶋大社から出て亀井重矩(かめいしげのり)に所持されていましたが、享保8年(1723)再び大社に奉納され、その由来を記した添書があります。
出典 『三島市誌 増補』p.971、1033
三嶋大社(みしまたいしゃ)矢田部家文書(やたべけもんじょ)
(国指定重要文化財、古文書)
三嶋大社の由緒と信仰とその歴史を知る上で大切なものに、三嶋大社と矢田部家が所蔵する約1,500点を超える古文書、絵画、記録類があります。その中の592点が、平成6年(1994)「三嶋大社矢田部家文書」として国の重要文化財の指定を受けました。
この文書は鎌倉時代から江戸時代にわたるもので、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康など歴史に名だたる人にかかわる文書、記録類をはじめ、三嶋大社境内図や大社社家村(しゃけむら)屋敷割図(やしきわりず)などの絵画、建物配置図があります。
特に三嶋大社境内図は、大社(たいしゃ)の鳥瞰図(ちょうかんず)で、一番古い社殿の様子を描く「慶長(けいちょう)絵図」(1604)は、徳川家康造営の社殿です。「寛永(かんえい)絵図」(1634)は第三代将軍徳川家光造営時のもので、五重塔が建つ最も充実した社殿のありさまを伝えています。「承応(じょうおう)絵図」(1654)は第四代将軍徳川家綱造営のもので、塔が五重から三重になり、楼門(ろうもん)も単層で、神殿の塀も簡略になっています。
現在の社殿は、安政の大地震の後、13年の歳月をかけ明治2年(1869)に再建されたものです。
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三嶋大社境内慶長絵図(1604)
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三嶋大社境内寛永絵図(1634) |
三嶋大社境内承応絵図(1654) |
出典 『図録三嶋大社宝物館』
日本書紀(にほんしょき)並びに具書(ぐしょ)
(県指定文化財、典籍)
『日本書紀』は日本最古の歴史書です。『日本紀』とも称された『日本書紀』は舎人(とねり)親王らが編集したもので、神代から持統(じとう)天皇の終わりまでを漢文で編年体に記し、養老4年(720)に全30巻、系図1巻を完成させました。
『三嶋大社日本書紀』は室町時代のはじめ応永35年(1396)に良海、快尊、重尊、助筆の真尊の4人が書写し、これに具書をそえて三嶋大社に奉納されました。
『日本書紀』は平安以降の古写本が多いことと、慶長(けいちょう)勅版(ちょくはん)をはじめ刊本が多いことで知られています。写本の中で著名なものは、『嘉禎(かてい)本』神代巻下(じんだいかんげ)と、三嶋大社蔵の『三嶋本(みしまぼん)神代巻上(じんだいかんじょう)及び第二神武巻(じんむかん)』だといわれています。
出典 『三島市誌 増補』
源頼朝(みなもとのよりとも)下文(くだしぶみ)
(国指定重要文化財、古文書)
現存する源頼朝の文書の中でも最も古いものです。
この下文には治承4年(1180)に三嶋大明神へ三薗(みその)郷、川原谷郷を寄進すると記され、平家追討の旗挙げをした頼朝の花押(かおう)があります。花押とは、印の代りに自筆で書く図案化したサインのことです。文書が自筆でなくても、その内容を認め責任を明確にするために署名するものです。
出典 『三島市誌 増補』、『図録三嶋大社宝物館』
一遍聖絵(いっぺんひじりえ)
伊豆国三嶋社参詣の図
これは、一遍上人が弘安5年(1282)三嶋大社に参詣したところを描いた一遍聖絵(注)(国宝、神奈川・清浄光寺、京都・歓喜光寺所蔵)の第6巻
第1段です。東海道に面した門前から一の鳥居、神池、二の鳥居をくぐって神門、舞殿、本殿に至る当時の三嶋大社の景観とにぎわいの様子が描かれています。
三嶋大社宝物館で、この絵巻をコンピューターグラフィックスを使って動画化されたものを見ることができます。
(注)一遍上人遍暦の生涯を描いた絵巻 |
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