ふるさと探訪
ふるさとの人物ゆかりの地5 箕田寿平(みたじゅへい) (平成26年8月1日号)
箕田寿平〈孤山堂凌頂(こさんどうりょうちょう)〉は幕末から明治期の俳人です。天保十一年(一八四〇)
、八反畑(はったばた)に生まれ、数えで十八歳になる時に江戸に出て、江戸俳壇の重鎮といわれた三島出身の
孤山堂卓郎(こさんどうたくろう)に付いて学び、俳諧の道に進みます。安政六年(一八五九)頃、三島に戻り、師が没すると一門のリーダーとなります。名は全国的に知れ渡り、横浜沖で海軍の観艦式(かんかんしき)を見たときの一句「見そなはす艦のかしこし浦の秋」は好評で、当時多くの人に親しまれました。
地元では八反畑の自宅に塾を開き、郷土の子弟の教育にあたります。一方、豆相(ずそう)鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)設置に関与するなど郷土のために力を尽くします。渡米の意欲もあったといわれていますが、明治四十二年(一九〇九)十一月、病のため七十歳で亡くなりました。
【広報みしま 平成26年8月1日号掲載記事】
ふるさと探訪(2014年度)
- (第322号)三嶋暦と天文(平成27年3月1日号)
- (第321号)江戸・明治の棹秤の錘(平成27年2月1日号)
- (第320号)江戸時代の棹秤と秤座 (平成27年1月1日号)
- (第319号)奈良から来た三嶋大社の神鹿 (平成26年12月1日号)
- (第318号)楽寿園の歴史 懐かしの風景 (平成26年11月1日号)
- (第317号)楽寿園の歴史 宮様、世子様と三島高女の交流 (平成26年10月1日号)
- (第316号)幕末の三島宿-遊撃隊の奮闘- (平成26年9月1日号)
- (第315号)日英で活躍した洋画家 栗原忠二 (平成26年8月1日号)
- (第314号)野口三四郎と三四呂人形 (平成26年7月1日号)
- (第313号)三島宿 借金とその返済 (平成26年6月1日号)
- (第312号)住民学習が原動力 石油コンビナート反対運動 (平成26年5月1日号)
- (第311号)三島宿 問屋場と問屋 (平成26年4月1日号)